|
.gif)
移動は第5グループの石の上で一時とまり、ややパンダウンして、この台形をした石を中央に見据えて止まる。これは第4グループの一部と第5グループとが、同一ショットの中に見え、パンダウンすることで、手前にある第5グループの石だけを隔離することが出来るからである。この移動の最後のパン・ダウンは、3回とも使われており文章でいえば、一種の句読点(あるいは音楽のスコアでいえば休止符)に相当する。
再びテキストが現れる。
Perceive not the objects
but the distance
between them
not the sounds
but the pauses
they leave unfilled
物ではなく
その間に生まれる
距離を
音ではなく
それが埋め残した
休止部分を 感知せよ
これらの言葉は、私がすでに視覚的に強調したことを言葉で言い表している。岩よりも、その間の「距離」とは、最初の移動において「感知」された視覚である。しかし映像においては、眼に見える限りにおいて、否定形ではなく、強調の度合い(バランス)の違いがあるのみである。したがって「物ではなく」、「距離」という二者択一の論理はなく「物」も「距離」も存在するばかりではなく、「距離」もまた、別種の物たちによって埋まっている。石と石の間の「距離」には、砂利があり、壁がある。石を視点とすれば、それらは「距離」ではあるが、砂利あるいは壁を視点とすれば、石は「距離」になりうる。ただし通常の間隔では、石は砂利や壁に対して「物」の位置を占める。
あるいは言葉としての二者択一の論理に異議をはさむこともできよう。二者択一は西洋的な論理であって、東洋の論理は「物」も「距離」も視点を移動すれば交換可能であるという論理である。
第2連の言葉の後、第2回目の移動がある。今度の移動ショットは1回目より広角な標準レンズで、移動スピードもやや速い。最初の石のグループの全体が、裾野の苔を含めて収まり、背後の壁との距離も増えて、よりパースペクティブをもつ。ただし、フレームの上限は壁の内にあり、壁の外の外界は見えず、石庭が壁によって限定された空間であることを示している。
より広角なアングルは、それが均一に横移動しているにもかかわらず、最初の望遠の移動に対してズーム・パックした効果を与えている。また2回目であり、より広角なレンズは、それがより早く移動しているにもかかわらず、速度を遅く感じさせる。これは知覚の法則から割り出して、振り返しが遅延化を起こすことを逆手にとってとられた撮影プランである。
この2度目移動では、石と石との距離がより相対化され前面の砂利の占める領域も広くなってスペース化される。ダニエル・シャルルが「この無数の砂粒は空無を象徴する。が砂が空無のしるしとなり得るのは、岩が存在するからである」3)と竜安寺石庭について述べているのは、このような視角においてである。ここでも「空無のしるし」を確かめうるのは、「岩」という「物」の存在である。
3回目の移動でも、最後にパンダウンを行っているが、より広角なためパンダウンを行っても、第4グループの岩が画面の上部にあり、下半分に第5グループの岩があって(写真5参照)、西洋の奥行きの遠近法に対して東洋(水墨画など)の上下の遠近法を想わせる。水墨画においても、視線をパンダウンして、遠景から近景に移動する。このような東洋画のフレーミングを、この移動ショットの止めの構図として試みている。

写真5
画面は一転して、移動から、5つの石のグループに対するそれぞれのズーミングとなる(写真6参照)。これは廊下のほぼ中央の定位置から、ゆっくりとした自動ズームによるもので、それぞれの石のグループの主要な石に向けられている。

写真6
ズーミングは石という「物」へ集中する。これは、それまで2回の移動が、石と石との<間>を強調したのに対して、カメラ(観察者)と石との<間>を強調する。通常、<間>が「物」の不在に対して知覚されるように、観察者(私)と「物」との間隔においても、<間>を知覚することが可能であろうか。ズーミングは、対象へのゆっくりした接近によって、石は画面一杯となって停止するが、それは凝視と呼びうる視線の集中である。「物」である石がその物としての外形を脱して、意識の全面におよぶ時、それを瞑想(メディテーション)と呼びうるならば、このような凝視による対象の無化作用が起こりうると考えられる。
この5回にわたるズーミングにおいて、シンクロした反響音を伴う大きな叩く音がくり返される。移動においてもさまざまなバリエーションを持つ単音が、反響を伴って、音と音との<間>の余韻を残して展開された。それが、この石のズームでは、各ショットの出だしに同時化する音の鋭い響きによって覚醒される。それは頭脳への「石つぶて」とでも呼ぶべき強力な打撃である。禅師の「喝!」にも似た覚醒作用を、映像と音とのシンクロする相乗作用によって試している。
このような「物」への激しい集中度があって、対象との<間>を強調することは矛盾した戦略に見える。しかし、「物」への意識の集中が反転して、<間>を生み出す(単に存在するに止まらずに)という「アクティブセンス」に作家は賭けている。
なお、ズーミング(ズーム・イン)は、3回にわたる移動が望遠から広角へと、ズーム・バックする効果をもつのに対して、反対の、交錯する視線を持つことも記しておきたい。
|