作品ノート「間:竜安寺石庭の時/空間」

飯村隆彦


I


「間:竜安寺石庭の時/空間」(MA:SPACE/TIME IN THE GARDEN OF RYOUANJI)は、1989年にニューヨークの芸術団体THE PROGRAM FOR ART OF FILM(メトロポリタン美術館とゲティ財団の共同出資による、アートに関する映画を製作・配給する組織)の委嘱を受けて、飯村隆彦と磯崎新による共同作品として完成された。主なクレジットは、演出:飯村隆彦、テキスト:磯崎新、音楽:小杉武久で、16ミリ映画(ビデオ版もある)、16分、カラーである。

 この映画は、プログラム・フォー・アート・オン・フィルム(PAF)のFilm on Art/Art on Filmのシリーズのひとつとして制作され、全体の企画意図は世界的に重要な、古典的美術および建造物より選ばれた作品に関する映画で、映画作品としても芸術的に優れたものを目指している。単なる芸術紹介作品」ではなく、「アートについてのフィルムであると同時に、フィルムにおけるアート」という2つのアートを同時的に実現することにある。

 他に選ばれたテーマとしては、レオナルド・ダ・ヴィンチのドローイング、パリのパルテノンなど、多様な作品に及んでいる。
もうひとつの特色としては、それぞれのテーマについて、映画作家と学者(あるいは専門家)が組んで協力して制作するということで、私の場合は建築家の磯崎新がテキストを執筆した。

II


 私自身、<間>というコンセプトについては、今回の映画以前にも興味を持っていた。1975〜77年「MA (INTERVALS)」というフィルムを制作している。これはニューヨークに長期(1975〜77年)滞在中に制作されたものであるが、今回の竜安寺石庭を題材とするものとは大変異なって、ひとつの「抽象映画」である。フィルム素材としては、クロミと呼ばれる完全に真っ黒の光を通さないフィルムと、スヌケと呼ばれる全く透明のフィルムを使用している。共に、通常はフィルム編集用に使われる素材であるが、この作品ではこれら2種類とさらに、クロミのフィルムに針によって直接一本の線を引いたもの(したがって真っ黒のスクリーン上には白い線のみが縦に走る、写真1参照)と、その反対に黒い線をスヌケのフィルムに同じように縦に引いたものの、以上4種類のフィルム素材によって構成されている。


写真1

 「MA(INTERVALS)」とタイトルにあるように、主に時間として<間>に焦点を当てている。インターバルという時間の休止部分に相当する間隔を主要な要素としている。フィルム素材による画面一面の白と黒、さらには画面のほぼ中央に走る白と黒の線。それらを秒ごとに計り、1、2、3秒の長さを基本的な単位として、それらの可能なコンビネーションによる順列組み合わせで、組織している。

 音の面でもフィルムのサウンド・トラックに傷をつけて、1、2、3秒ごとの断続音および1秒の断続音によって、画面と同時化している。

 したがって、例えば1秒のスヌケ(白)の画面に1秒の区切りを示すピッ、ピッという2つの音によって1秒間を示すものと、ピーという断続音によって、同じく1秒間を示すものとがある。これはクロミ(黒)の画面についても同様である。同じ1秒(間)でも、光(白)と闇(黒)があり、音もその間を2点の断続音による場合と、持続する断続音とがある。

 この作品における私の興味は、このような同じ(長さの)<間>のおいても、光と闇、断続と継続という4つの様相を持ち、それぞれにイメージと音の組み合わせによって、さらに複雑な(この極めてミニマルに構成された映画においてさえ)様相を持つことである。

 以上のイメージと音の素材を、ひとつのグラフィカルなスコアとして作成し、このスコアによってフィルムは作成された。一種の音楽的な制作(作曲)にも比較しうるもので、全体を通してみると、いくつかの光と音のパターンのリズムとバリエーションとして見える(聴こえる)。

  1970年代の私のフィルムの関心は時間の問題にあり、「MA(INTERVALS)」以前にも幾つかのフィルム作品を、同じようにクロミとスヌケのフィルムを使用して制作している。それらは「MODELSリール、1と2」(1972年)に集約されているが、この作品は一連のシリーズ作品(例えば「TIMING 1.2.3.4」、「TIME LENGTH 1.2.3.4」など)を寄せ集めたものである。

 それらのシリーズ作品を通して、私は時間を可能な限り合理的に計測し、先述したような光と音の基本的な要素に還元して制作した。この場合、フィルムの速度<1秒間24コマ>を基本的な単位として、常に現実時間として体験しうる持続時間内に限定している。多くの場合、1秒から1分以内の持続時間を扱っている。
 例えば、「MODELS」の一部である「2分46秒16フレーム(100フィート)」の場合でも、最初は各フレームに1から24までの数字が書き込まれたスヌケのフィルム、次に各秒ごとに1から60までの数字が書き込まれたもの、そして最後に各分ごとの数字、つまり1と2の数字のみが現れる、合計3種類の100フィートのフィルムから構成されている。

 これらの作品において私は、時間のなかでもベルグゾンが<デュレ>と呼んだ持続時間に関心があり、彼が言葉で考えたコンセプトをフィルム時間によって現実化することにあった。

 私はベルグゾンの<デュレ>が、東洋の時間概念に近いものと考えていた。それは時間を微分化しうる単位としてよりも、持続する間隔として考えるもので、<間>という日本語のコンセプトも時間と空間の未分化の状態として捉えるならば、両者には共通性が考えられる。

 しかし、私が「MA(INTERVALS)」を制作した際、「MODELS」において使用してきた<1秒24コマ>という基本的な単位を放棄することはなかった。この測定可能な単位を援用しながら、「MODELS」においてはある程度まで予測可能な継続性を「MA(INTERVALS)」では断ち切り、そこに断続性を持ち込むことで、継続と断続の両面が同時に現象する複数の局面を作り出すことを考えた。

 「MA(INTERVALS)」における、クロミとスヌケのフィルム素材による黒と白という抽象的な画面構成は、対象の運動を表現しない。映画における時間が、通常、運動の経過として表現されることに対して、「MA(INTERVALS)」は運動の欠如(もっともフィルム上に引っ掻いてつけられた線は、上映した際にはあたかも「走る」かのような、線の「運動」を- それが同一線上にほとんど止まっているにもかかわらず- 錯視される)によって時間間隔を成立させた。



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