メディア・アートとしての映像 -自作に関わるノート
飯村隆彦

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2 『Dead Movie』映画の死

 一方、メディア・アートとしてのフィルムについては、ビデオよりも早く、すでに1960年代はじめのフィルム・インスタレーションにおいて試みた。むろん当時はまだメディア・アートという言葉はなかったが、インスタレーションという形式(この場合も、アートのジャンルとしてインスタレーションという言葉も形式もなかった)が優れてメディアの問題を--どの場合も、とは言えないが--明らかにする。

 1964年に東京のドイツ文化センターで発表した『Dead Movie』はメディアを問題とした、私の最初のインスタレーションであり、映画における「メディア・アート」の最初の作品のひとつと言えるだろう。タイトルの『Dead Movie』は映画の死をすでに40年以上も前に宣告したものであり、映画の、20世紀における「産業としてのアート」の王座の失墜を予告するものであった。20世紀におけるメディア・アートは、ほとんど世紀のはじまりとともに誕生し(実際は1895年だが)一躍巨大産業にまで発展した映画を抜きには考えられない。その制作の機械化(フィルムとカメラによる)も不可欠であったが、それ以上に上映システムの市場化が娯楽産業としての確立に貢献している。私の『Dead Movie』は、この上映システムをひとつのモデルとして無化するもので、一台の映写機にクロミと呼ばれる未現像の真っ黒のフィルムがかかって、室内を大きなループ状に回転するインスタレーションである。これは後に改訂され『プロジェクション・ピース』(1968年)としてニューヨークのジャドソン画廊でも発表された。向かい合うもう一台の映写機にはフィルムはかけられず、光のみが投影され、黒いフィルムと映写機の影を背後の壁に投影する。






 装置としては10年後のビデオ、前述の『FACE/INGS』の対面するカメラにおけるように、ここでは二台の映写機が対面する。しかし、カメラの場合とは異なって、映写機は対象の像を作り出すのではなく、一方は光を遮られたフィルムによって自身の存在を、他方は投影する光によって対象の存在の影を生み出す。ここで問われているのは、映写機という投影装置の存在とその影であり、物体と「影像」と化した二台の映写機の間を回転するイメージのないフィルムである。これはまさに映画という幻想(イリュージョン)を作り出すシステムが、「ものとその影」と化した状態である。メディアが媒体であるならば、これは何を媒体にして言えるのだろうか?

 『Dead Movie』における唯一の媒体は光であり、光と化した映写機がもう一方の映写機の存在を明らかにする。そして影という自らの映写機の分身を投影する。したがって、のちに1972年にツルン・ウント・タクシス画廊(オーストリア)で発表された『プロジェクション・ピース』が二台の対面する映写機と並んで、三台目の映写機が、クロミをかけた映写機の隣に設置され、透明のフィルム(スヌケ)のループをかけて、フィルムを通過した光を投影したことは偶然ではない。『プロジェクション・ピース』のタイトルが示すように、映画というメディアは光であるというメッセージ、「死んだ映画」と併存するメディアの生命のディアレクティーク(弁証法)がある。それは透明なフィルムを繰り返し映写機に通過させることで、フィルム上に傷がつき、それが壁のスクリーンにも現れて時間の経過を示す。それはひとつの「生きた」フィルムの側面を示すものだ。

 私は自らのキャリアの初期において、フィルムやビデオを表現であると同時にメディア(媒体)として問題としてきた。これらの初期の存在論的、あるいは実存的な問題はその後も局面を変え、それらの課題に対応して、私は制作しつづけてきた。

 フィルムを媒体としては、1970年代における「時間」の問題や、80年代の「映画を見る構造/制度」の問題である。ビデオでは、1970年代の「言語を含む記号学」であり、「発話における現象学」の問題であった。いずれも80-90年代を通して、フィルム/ビデオ作品ともに、それぞれインスタレーション/パフォーマンスで実現してきた。

 なかにはジャック・デリダの「話す/聞く」同時性を問題とした一連の作品におけるように、フィルムやビデオのメディア固有の問題もあれば、双方のメディアに共通して問題となった作品もある。

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