電子出版の可能性

飯村隆彦


CD-ROM「映像実験のために」
 私は1997年の始めに、CD-ROM「映像実験のために」(ユーフォニック社)を発刊した。これは、同名のタイトルの1986年版(青土社)に、それ以来の新しいエッセイ(全体の約1/3)を含めて750頁のテキストと本書の中で扱われている私のフィルムとビデオの作品約60作品の抜粋が、各1〜2分の合計で約110分、それに作品写真とそのダイアグラムなど約100点が加わっている。

 旧版の本は長らく絶版となっていたため、再版を考えていたが、それが CD-ROMという新しいメディアで再版したことは、ほとんど新しい出版といってよいものである。単に新しいエッセイを加えたという以上に、CD-ROMというメディアが本とは大変異なるマルチメディアとして機能しているからだ。このノートで、現在の主要な電子出版であるCD-ROMというメディアとマルチメディア・アートの可能性を私の著作にそって考えたい。

 新しいエッセイを加えたことと同時に、このCD-ROMのために、「21世紀への発言」というコラムを全ての章の始めに設けて、自ら顔を映像として出して、発言した。これは、かつてのエッセイを今日の観点から見直して、21世紀という未来への パースペクティブをもって直接読者に語りかけた。目次につけたこのコラムで私は「本でもあると同時に映像でもあります。実際に写真や、映画やビデオなど、私の作品が映像として現われる。しかも、それぞれムービーとして見ることが出来るということは前の本にはなかったことで、私の作品をじかに体験することが出来ます」(1) と語った。ここにこの CD-ROM版の最大の魅力がある。しかも、それがテキストとリンクして参照されるところに、「間(インター)テキスト性」と呼ばれるCD-ROMの独自性がある。それは、テキストとイメージの間ばかりでなく、テキスト相互間、イメージ相互間にもある重層した関係のネ ットワークである。

CD-ROMの特長
 まずCD-ROMの一般的な特長から考えてみよう。CD-ROMは通常音楽用のCDと同一サイズの12インチの円盤のディスクで、CDとは異なってテキストと動画及び静止画像と音声を再生するものであるが、その能力 には限界があって、ビデオのように、フル画面(画面全体)でフルモーション(1秒30コマ)の映像ではなく、通常、全画面の1/8〜1/16の大きさで、1秒8〜15コマ程度のコマ数で、フル・モーションには至らない。したがって、メディアとしては過渡的で、すでに登場しているDVD(デジタル・ビデオ・ディスク)と共存することになろう。しかし、デジタルディスクとしては利用しうるものがあり、これまでのアナログにはない可能性は、すでにCD-ROMにも現われている。

 CD-ROMの大きな特長はマルチメディアとして、テキスト、映像、音声、グラフィックなどが互いに媒介し合うインターリンクであり、それがインターネットによって、外部のリンクに連なる可能性を、ひとつの作品内で、内部的に保証している。いわば、外部がすでに作品の内部の一部に入っていると言ってもよいが、この点についてはあとで、述べることにする。

 マルチメディアが、単に複数のメディアの同時性という、メディアの数量的な問題としてばかりではなく、メディアの質的な問題にかかわることは内部/外部の関係においても明らかである。複数のメディアの同時性としてのマルチメディアについてはすでに、1960年代にインターメディアとして試みられた。メディア間のパフォーマンスにおいてすでに経験ずみである。それらは主に、同一空間内のステージ上のマルチメディアとして行為、音声、言葉、映像などが、同時に展開される。時にマルチメディアと呼ばれることもあったが、メディアの数よりも、メディアの間という意味のインター・メディアの呼び名がふさわしい。この点は、現在のコンピュータ上のマルチメディアについても言えることで、主に産業的配慮から、数量的なマルチメディアの呼び名が使われているが、少なくともアートにとって重要なことは、メディアの数が、質に転化する問題こそ考えられなければならない。この点、アーティストの発言が少なく、産業主導で、議論されている今日のマルチメディア論は、再考を要する。

 「meta media」- CD-ROM インスタレーション
「エキスパンデッド・ブック」(2) の電光掲示式の<自動読書>を利用して、私はひとつの文字と映像のインスタレーションを行った。「meta media」と題するCD-ROMインスタレーションで、「映像実験のために」のCD-ROMを素材に、10台のパソコンと40台のビデオ・モニターを同時にフロアに展開して行った、大がかりなイベントで、横浜のランドマークホールの25m四方のスペースを使った。中央に、頭脳センターとして、パソコンのグループがあり、観客は自由に、アクセスして、好きな頁を読み、映像を見る。ここから前方の9m幅の巨大なスクリーンに、映写機で、一部のパソコンのイメージが投映され、また同時に、ビデオからの映像がパラレルに上映される。会場内には、4つの" 島"と呼んだモニターのグループがあって、各" 島"は、8つのモニターから成り、それぞれ、パソコンとビデオの4つのソースから、組み合わせの異なる、パソコンとビデオのイメージが、大小、多様なモニターに映る。このパソコンのイメージの1部に、電光掲示式のタテとヨコの1行の文字のラインが、自動的に映し出されるもので、映像との関連を保ちながら、すなわち、一部は映像の文字化であり、他の一部は文字の映像化という双方の関係がクロスしながら、文字、映像、音声のマルチメディアを、デスクトップから開放して、大きな空間に展開した。観客はパソコンから" 島々"の間をナビゲートし、 立ち止まり、"島"の中に入って座り、寝転がって読むと言う、身体行為を含むサイバースペースを現出した。文字を読むと言う<行動>がモニター上の文字の移動と共にシンクロナイズする局面が見られた。移動する文字は、丁度、ローラースケートのように空間を浮遊するスピードを与えた。<文字の流れ>がある種の現実感をもって知覚出来た。

 「meta media」展での試みは、マルチメディアをコンピュータの小さなスクリーンに限定することなく、かつてインター・メディアのパフォーマンスがそうであったように、ひとつの空間における同時多発的なイベントとして行った。そのため、ビデオのイメージとして使われたのは、主に60年代に作られた映画作品からの抜粋を使用した。いわば、60年代のイメージを90年代のテクノロジーで、再解釈した。

インターネットによる展示
 「meta media」展では会場とは別に、インターネット上でも、同展のホームページを開いて、会場に来られない人を含めて、直接アクセス出来るようにした。このホームページには、作品の一部が写真と動画を含めて掲示され、同展の概要が分かるように説明した。それ自身ひとつの作品であり、ヴァーチャルな展示となり、また会場のパソコン上でもアクセスすることで、作品の内部と外部が接合された。さらに、作品の外部を作品の内部にとり込むことさえ可能とするもので、伝統的な意味で、作者の作品に対するオールマイティは崩れ、むしろ、作者は場を提供し、作品をひとつの提案として、議論の機会-言葉だけではなく、ビジュアルを含め-を作り出すものとなった。もっとも、現実には観客からの反応は、宣伝不足もあって限られたものだったが、個展の後にも持続しているから、ほぼ恒久的な場となっている。(http://www. euphonic.co.jp/art/metamedia)

私のホームページ
 また、私のホームページ(http://www2.gol.com/users/iimura/Front.html)では、「メディア」と自己史である10年毎の「年代」に大別されている。メディアは、さらにフィルム、ビデオ、CD-ROM、出版に分かれて、それぞれ代表作が写真と共に紹介され、年代は60、70、80、90年代とこれも、写真と作品紹介と批評が記載されている。他に、近況を伝えるニューズ・レター、作家へのインタビュー、バイオグラフィー、レビューの頁があり、さらに、作品を配給する国際的なディストリビューターのリストがある。作品にはそれぞれリンクがはられ、メディアや年代を越えて飛び交い、さらにディストリビューターやメディアのサイトを通して、外部の組織とリンクする。メディア・アートに関して国際的な情報組織が、 アメリカやヨーロッパで、発達しており、作品の紹介や配給にとどまらずに技術的な問題から政治的な問題まで議論するサイトがいくつもある。これらのサイトにリンクすることで、私のぺージもグローバルなメディア・アートのネットワークの一部となっている。

インターネット上の「個」
 
今後の課題として、私が興味をもっているのは、インターネット上で、このような個のアイデンティティが、どのように実現されるかという問題である。インターネットは個を基点としながら、無数のアクセスが可能であり、記憶能力をもった即時的な通信手段であるインターネット上の個は、膨大な数のネットワークのひとつの点であり、送受信する点であり、開かれた点である。自らリンクを構築することで、点は線となり、情報は流動する。私は今回の CD-ROM の一部をネット上に掲示することで、ネットワークに参加した。しかし、ネットワークにおける個とは、情報としての個であり、ヴァーチャルな個であり、<肉体のない>個である。それは、無数に分散し、分子化しうる個である。いわば、唯一の<エゴ>から解放されて、 サイバースペースを同時に多数の個が、存在しうる。しかし、それはアイデンティティの消滅を意味するものではなく、唯一のアイデンティティに代わるマルティプルなアイデンティティを認めるものになるだろう。あるいは、インター・アイデンティティというコンセプトが必要かもしれない。 私のホームページのフロントは デフォルメされた私の顔と「あいうえおん」の文字とがそれぞれ激しく、勝手に動き回って任意の一点で止まるものである。

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(1) 飯村隆彦映像実験のために」セットアップマニュアル、ユーフォニック社(東京)、1997年、7頁
(2) 米国ボイジャー社が開発したテキストを基本にした電子出版フォーマット。日本語版は日本ボイジャー社のエキスパンデッド・ツールキットIIを利用する。 上記、論文「電子出版とマルチメディア・アート」より抜粋