「間」を巡る4っつの映画 (1)―美術、記録、アニメ、抽象

飯村隆彦

DVD "MA/間: A Japanese Concept"
 「間」という日本的なコンセプトに、私は必ずしもなじみがあったわけではない。極めてあいまいで、多くの応用が効くということでは、神秘的な言葉で、日本的と言えようが、むしろ扱いにくいというのが、正直な感想であった。それが1970年代に、映画における時間を考えるようになって、「間」というコンセプトに興味を持つようになった。映画における時間が時計の時間であるN+1であるよりもジ持続時間として考えられるからだ。ひとつのデュレーションであり、ベルグソン風に言えば、デュレーである。ここが私の出発点で、1973年に―未現像(黒い)のフィルムに1から60までの数字のみを1コマの上にスクラッチしてーそれぞれの数の持続時間を足して行って(例えば2を1+2を足して、時計時間の3秒目に、3を1+2+3を足して、時計時間の6秒目に,他すべては真っ黒)全部見るのに30分30秒かかる「1 TO 60 SECONDS」という映画も制作した。

 私は「間」について、これまで4っつの映画(ビデオを含む)を制作している。最初は1975−77年に作られた「MA (INTERVALS)」で、通常の分類を使えば、完全な抽象映画であり、ひとつの実験映画でもある。基本的なフィルム素材としては、クロミと呼ばれる完全に真っ黒の光を通さないフィィルムと、スヌケと呼ばれる全く透明のフィルムを使用している。これらの素材は1、2、3秒の各秒の長さによって計られた単位により編集されているが、クロミとスヌケの中央に、それぞれ縦に(クロミの場合は白、スヌケの場合は黒の)直線がスクラッチされたフィルムが加わり、画面としては、4種類のみで出来ている。いわば「間」の間隔を光(白)と闇(黒)とその間の直線から秒数に基ずき構成した。間という非合理な時空間に一定の時間/空間を与えることで、両者のインターバルとしての関係を試みた。

 次ぎに1989年に制作した「間:竜安寺石庭の時/空間」(MA: Space/Time in the Garden of Ryoan-ji)で、ニューヨーク のアート組織(THE PROGRAM FOR ART ON FILM)の委嘱により作られた。テキストに磯崎新、音楽に小杉竹久が加わった共同制作である。竜安寺石庭という古典的な造形を「間」をテーマに映画的に解釈したひとつの美術映画でもある。しかし、美術教育映画にありがちな「間」を映画によって説明するものではなく、この映画を見ることが、ひとつの「間」を体験するリアリゼーションを試みた。特に時空間が不分離な状態としての間というコンセプトから、撮影方法において、固定(空間)でも、パン(時間)でもなく、きわめてゆっくりした一定速度の水平移動とやはりゆっくりしたズームをくり返した。水平移動は対象(石)の間の客観的な「間」を、ズームは対象(石)と主体の間の主観的な「間」を考えた。 テキストも「間」を強調して、その一部は

物ではなく
その間に生まれる
距離を
音ではなく
それが埋め残した
休止部分を 
感知せよ

と書いた。
 音楽でも「間」のコンセプトが実現され、手の上で、二つの石を打つ単音が、長いエコーとともに断続的に聞こえた。

 また、この映画の撮影と平行して、ビデオによる記録としての、「The Making of <Ma> in Ryoan-ji」(1989)が撮影された。ここでは、実際の朝の読経が鐘の音とともにバックグランドで聞こえる。おそらく観客がもっとも驚くことは、ゆっくりした一定速度の移動がレール上の移動車がコンピュータによって制御されていたことだろう。それによって手では非常に困難な「ゆっくりした一定速度」が可能となった。さらにMakingが単に、撮影過程を示すばかりではなく、それ自身でひとつの「間」を実現する作品になっていることだ。それは撮影スタッフと石庭との間の撮影行為の中に見い出されるだろう。例えば、くり返される移動車のシーンはその撮影されたシーンとともに提示されることで、「間」における「見る/見られる」関係を示している。

 もっとも最近の作品として、2003−4年に制作した「Ma: The Stones Have Moved」がある。これは石庭の映画をコンピュータ上で、イメージの輪郭をトレースしたアニメーションである。その結果、実写においては撮影者が移動したものが、アニメでは石が、線が動く結果となって、180度転換している。これはアニメでは、石の輪郭のみを抽出して、背景も前景もなく、石のドローイングのみを動画化した結果である。

 その動画は石の輪郭を一筆画のように一息でなぞったドローイングを連続して書き、それらを1秒毎にフェード・インとアウトをかけたもので、そのリズムが、息をしているように継続する。一筆画の息のリズムがドローイングのF.I/F.Oするパルスのなかに見出されるだろう。

 以上の4作品のなかに、「間」はそれぞれ異なった実現を見ている。映画のコンベショナルな分類によれば、抽象、美術、記録、動画(2)として分類できるかもしれない。しかしこのような分類が重要なのではなく、本当の意味は多様な表現のなかに、既成のジャンルを超えて、「間」という共通するコンセプトが働いていることである。

Note:
(1) このテキストは2004年に東京工芸大学で開催された第30回の日本映像学会で映画を含め、発表された。
(2) この副題と同じく、DVDでは美術、記録、動画、抽象の順である。 

参考資料:
(1)「作品ノート:『間:竜安寺石庭の時/空間』」飯村隆彦、名古屋造形芸術大学研究紀要、第3号、1993、39-47 頁
英訳:Millennium Film Journal No. 38, Spring,2002: Winds From the East, The Millennium Film Workshop, New York, pp.50ー63。Translated from the Japanese by the author.
(2)“Bringing Ryoan-ji to the Screen,”Daniel Charles, Millennium Film Journal No. 38 (Spring 2002):
Winds From the East, The Millennium Film Workshop, New York, pp. 65-72. Translated from the French by Eleanor Mitch, copy edited by Nadine Covert.
(Revue Esthetique, vol.39, 2001, Jean Michel Place, Paris, pp. 27-31)
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