飯村隆彦:
DVD"John Cage Performs James Joyce"とDVD"フルクサス・レプレイド"

マイク・レゲット

 飯村隆彦は日本の同時代のアーティストのなかで年長のひとりであり、1960年代以来、映画、音響、ビデオで仕事をしてきた。彼は20世紀のアバンギャルドの介入の伝統をうけついだ数人の日本人の一人であり(1)、60年代のフルクサスのグループに貢献している。多くのメディア・アーティストのように、同時代の作品の記録を残している。

彼の映画とビデオのアート作品(ビデオ「オブザーバ/オブザーブド」はレオナルド35.1に批評がある)とともに、ポータブル・ビデオは記録を可能にし(一般的にノートの手段としても)、フィルムよりも経済的である。実験のサイクルが次の世代に移るように、この種の保存記録をとうして、先駆者の一瞥はアーティストの残された言葉や作品の背景を助けるものだ。


 ジョン・ケージ(1912−1992)はフルクサスの年配格として、30年代後期より実験的に活動したが、飯村によって1985年にビデオ・ポートレートの主題となり、1991年に発表され、2005年にDVDとなった。ケージはジェームス・ジョイスの作品に長い間魅せられ、特に「フィネガンス・ウェーク」は沢山の作品の基礎となり、もっとも有名なのは、「ロラトリオーフィネガンス・ウェークについてのアイリッシュ・サーカス」である。ドイツのラジオ局とパリのIRCAMによって委嘱され,音の記録は1979年に完成され,約1時間あり、テキストで参照される音は62のトラックをミックスし、テキスト自身は(一つのメソスティック・システムを使って)あらかじめ用意され、アイルランドの当時の伝統的な音楽演奏者による音楽とともに、ケージが読んだ。


 「ロラトリオ」はケージの作品の中では古典の一つで、飯村の15分の記録「John Cage Performs James Joyce」では、ケージはこの作品の語りの核の部分を読む。その作曲は、多くのケージの作品のように、易の助けを借りている。ここで、ケージは手短かに説明して、「フィネガンス・ウェーク」からは全く文(複数)(ケージ自身の言葉)を使わず、単語(複数)、シラブル(複数)、文字(複数)のみを、易とその表現であるヘクサグラムを参照してきめたチャンスによって、異なったページから選んだ。この方法で,その本の624ページが12ページのテキストに圧縮された。これらのページの1ページをケージが持っているのを、私たちは(映画で)見ている。ケージは読み、唄い、それから、カメラとマイクに急に近づいて、囁く。スクリーンの底辺には毎回彼が使っているテキストにシンクロする2行の言葉がスーパーされている。  

(映画では)飯村の存在は感じられても、見えず、彼が最初にケージの説明に応えるのを私たちは聞くのみだ。70歳代のケージの声は力強くはなく、陽がそそぐ部屋を背景に、窓から入るニューヨークの交通の騒音に対抗して語るケージを、私たちは懸命に聞く。彼の振る舞いは陽気で、一時、持っていた時計について不手際をして、雰囲気が明るくなる。この出来事はビデオの流れにはまっている。彼の先導的な行為の多くがそうであるように、アート作品とその制作の間の線は曖昧で、彼のステートメントは飯村の協力で彼の制作に助けられ、強調されている。  


 「フルクサス・レプレイド」は2005年に発表された。飯村は、ニューヨークをベースにした1960年代のフルクサスのアーティスト自身による歴史的なパフォーマンスを再演した1991年のイベントを記録した。S.E.Mアンサンブルとフルクサスのアーティストとが一緒になってナム・ジュン・パイク、ヨーコ・オノ、ディック・ヒギンス、ジョージ・ブレクト、アリスン・ノールズ、ベン・パターソン、ジャクスン・マクロウ、エメット・ウィリアムズの作品を演ずる。飯村は2台のカメラによって捉えた音とイメージの同期したビデオを起っていることの生の証拠として編集した。編集の連続性の決まりをほとんど無視することで、録画する時と見る時のあいだの時間に記録を行っている。時間の圧縮はオノ・ヨーコのSky Piece for Jesus Christ (1965年)で明らかなだけだ。このバロック音楽の楽器アンサンブルは、白い紙(包帯)で四方を傷した(演奏者)の作品で、ジャンプ・カットの一連のシリーズが堆積して、その音楽を衝撃音や摩擦音に減退するまでになり、椅子や楽器を(体に)つけたまま、音楽家はステージから力ずくではずされる。

 再び飯村は、若い世代に同時代のパフォーマンス・アートのこれらの初期の先駆者たちが、どのように聴衆に応えていたか 、このジャンルの典型的な背景の中で、いくつかのアイデアを与える。教会建築の集会ホール、塗装された壁や木造の床などのこのジャンルに典型的な背景において。この作品の多くは音にもとづいた、偶然性による決定と騒音の美学センスで型どられたものを使って、グループ・パフォーマンスのために協力して制作した。書かれたスコアや各作品についてのインストラクションは聴衆の多くの満足を得るものであったようだ。背景を一瞥したり、あたりを歩き回ったり、他には席の上でもじもじしたり、多分長過ぎる晩を、ビデオカメラを持ったアーティストによって有効な30分の記録に思い切って短縮されている。


注記
1) このテーマについて二つの出版:Into Performance: Japanese women artists in New York,(パフォーマンスへ:ニューヨークの日本人女性アーティスト)吉本みどり著、ラトガー大学出版、2005年。
Dada in Japan: Japanische avant-garde 1920-1970, (日本のダダ:日本の前衛1920-1970年)Stephan von Wiese, Jutta Hulsewig, 白川昌生共著、デュッセルドルフ美術館、1983年。
2) ケージと他のサウンド・アーティストについての拡大されたディスコグラフィーが現在あり、批評やサンプルや購入方法も含む。 
http://www.moderecords.com/main.html
(飯村隆彦訳)

Leonardo Digital Reviews, 2, 2007, インターネット、MIT Press)

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