「トーキング・ピクチャー (映画を見ることの構造)」
『トーキング・ピクチャー (映画を見ることの構造) 』1991,b/w,15min.
『Shadowman (見ること、聞くことの構造)』 1994/2008, color, 8min.
『観客になること』  2006/2013, color, 12min.









「飯村隆彦のこのビデオ・コレクション 『トーキング・ピクチャー (映画を見ることの構造) 』と『Shadowman (見ること、聞くことの構造)』は、一連の思考実験のビデオにおいて、フィルム/ヴィデオを見ること、見られることの経験を介在しながら、議論するものである。
このビデオは謎の連続によって意表を突かれるが、同時にユーモアがある。このビデオ・コレクションの見落とすべきでないところは、遊び心で表現されている反面、飯村は言語学と再現性の問題自体について哲学的に重要な疑問に触れていることだ。

これらのビデオ見ていると、記号論の分析的な伝統があり、プラトンの『洞窟のアレゴリー』や、ルネ・マグリットの『これはパイプではない』と比較をして楽しめるのではないだろうか。
飯村はまたアジア的な概念の再現性と、西洋哲学のそれらの概念との間に興味をそそる平行した関係を引出している。例えば、『Shadowman』で、飯村は、フィルムを意味する日本の単語「映画」が文字通り「反映された絵」を意味するが、漢字(映画)が中国語では「電気影絵」から来ることを指摘して、まさにプラトンの洞窟の理論を暗示している。
アバンギャルドの最先端を行く飯村隆彦は、60年代から現在まで、ニューメディアと新技術を取り入れながら、多くの実験映像作品を制作し続けている。
飯村はすでに国際的に認められ、多数の賞やフェローシップを受けている。活動的な芸術家であることに加え、批評的理論による出版も行っており、『飯村隆彦 エッセイ・コレクション』 (Wildside Press刊、アメリカ、2004年)などがある。

このビデオ・コレクションは、批評的理論と創造的な表現の出合いの場として模範的と言えよう。私達の多くが理論と実践の価値についてどうあるべきかと語る間、飯村はそれを実行し、そのために高い目標を設定している。 芸術面での創造的な実践と、批評的な思考でインスピレーションを与えている飯村は、いろいろな専門分野に分割している
人工的な境界を破壊したいと思っている我々にとって、一つのモデルである。」

『観客になること』は他のビデオ作品同様、観衆の性格について脳を悩ます尋問でもって、観客に胡椒をかけるものだ。この 固有のビデオ作品は(もしそう呼べるなら)実際、ドキュメンタリーであり,記録であり、ライブ・パフォーマンスのレコード である。しかもわれわれの観衆の位置を暗黙のうちに、審問して、二重、三重の複雑な層が重なったものである。飯村の 作品の多くは枠組みの境界を尋問する、ここではもう一つの境界が、観客とパフォーマーを区別するラインが溶け始めている。 観客は飯村と全く一緒に「プレイヤー」になり、好むとこのままざるに関わらず(これは、ビデオの観客も含むものだろうか) 飯村は宣言する、「私はあなたをパフォーマーにする!!」
アーロン・マイケル・カーナー (サンフランシスコ州立大学、映画学部準教授)



「 私はパフォーマーが観客になり、観客がパフォーマーに転じる活動的な構造をもつひとつの ―コンセプチュアルな― 映画空間を作った。」(T.I)


1981-2009年, 3 films, b/w & color, 35分、NTSC/Region ALL
ISBN 9784-901181-41-9
7,350
円(本体価格7,000,円)(個人価格)
36,750 円(本体価格35,000円)(ライブラリー価格)